気持ちの整理や、いつか記録を見返す時のためにも様々な事を書き留めておこうと思う。

今から15年前、緊急外来にて

私が10歳か11歳の時の話だから今から15年くらい前だと思う。詳しい日付は忘れてしまったが季節は確か秋ごろの土曜午後10時の出来事だ。母と私と姉と妹2人の計5人で、X県Y市にある母の信仰しているカルト宗教の勉強会から車で家に帰る途中だった。一番下の妹は当時小学校にも上がらない程度の年齢でその歳相応の子供並みにしか体力がなく、喘息の持病を患っており、車の中で発作を起こしたため急遽近くの病院の救急外来で診てもらう事になった。

到着してすぐに診察が始まった訳ではなく別の患者が既に1名診てもらっている途中だったため、妹は安静な状態を保ちながら別室で、私達は待合室で30分程待たなければならなかった。母は相当焦っており、夜間照明以外が消灯された静まった待合室の中で時折様態の推移を荒々しく説明する声や妹の診療はまだなのかと急かす声が聞こえ、姉と私と私の3つ下の妹は成す術なくじっと座っていた。

先に診てもらっていた患者の処置が一通り済んだらしく一旦待合室に戻ってきた。2歳くらいの女の子とその母親だった。母親は暗い顔をしていたが女の子はいくらか体力を取り戻したらしく、母親が「じっとしていなさい」と制止するのもよそに診察室を落ち着きなく歩き回ったり私達の方を暇そうに見つめていたりした。私は気まぐれでその女の子に、暇つぶしにと携行していたポケットステーションを「やってみる?」と促しながら差し出した。ポケットステーションには『どこでもいっしょ』のデータが入っていた。

それから15分程で妹の診療が終わり、私達は再び帰路につくこととなった。一方先に診てもらっていた女の子の方はまだ処置を継続しなければいけないらしく、そこで別れなければならなかった。私と姉が女の子に操作方法や画面に表示されるひらがなを教えていく内に女の子は熱心に遊ぶようになり『どこでもいっしょ』をとても気に入ってくれた様子だったので、私はそのままポケットステーションを手放す事にした。今その人が何をして生きているのか知らないし、興味がないという意味で知りたくもない。そもそもその女の子がこの事を覚えているかどうかも分からない。しかしあの時の即席の信頼関係による刹那的な安堵感は心地良く、今でも忘れられない。

人間が関数の様に思えて困っています

他人から見たら突飛過ぎて笑い話に思えるかもしれませんが、近頃、自分を含めた人間が関数の様に思えて困っています。
本当に人間が数学における関数だとは思ってません。ただ、その振る舞いを的確な表現に当てはめるならば、膨大な量の変数を引数に取る決定的な関数でしかないという意味です。
感情にも何かしらの原因が伴っていて、それらは表出しているものであれば因果関係を突き止める事ができるし、そうでなくかつ既知の理由であれば推測が可能だと捉えています。しかしその考えを家族に話したところ、「感情は理由じゃないよ」とやんわりと否定的に諭されました。
クオリア的な観点から考えれば当人の解釈については当人の中で閉じているので他人からの関与のしようがなく、コミュニケーションを取る場において意思疎通に異常がない限り問題はないのですが、普通の人にとっては『人間の思考には不確実さが伴っているし、それは個性として尊重されなければならない』という考えが一般的らしく、私の態度が無機質で異常なのだそうです。
普通の人と書きましたが、正直なところ判断がつきません。私の視野は狭いので私の家族固有の偏った思想が存在する事は否定できませんし、だからと言って私の考えが正しいかどうかもかなり怪しいものです。

2016年4月1日

5分ほど前まで4時間の間、部屋の灯りを落とした状態で椅子に座ってじっと過去の事と将来どうするべきかについて考えていた。
決別しなければならない経験や憤りに翻弄されていた哀れな自分を忘れる事はできないだろうし、今後もそれらは生きていく限り蓄積していくだろう。
自分の考えは自分にしか分からないという意味で私は一生孤独なままだし、敢えて誰かに話して共感を求める気もない。
喜びは総じて動物的であり、一方で理性によって発生する認識の歪みや不合理に起因する類の苦痛を紛らわす事はできない。
死ぬまでの間、肥大化していく苦痛を持て余しながら何を頼りに生きていけば良いのか分からない。
或いは自分から死んで全て終わらせる決意が必要なのかも知れない。
最早信念はなく、天にひらけた空にも怜悧な本にも感慨はない。